Festina lente・・・・(2000年)

[急がば廻れ・・・・最近は教育も何やら、真理探求よりも「効率の良さ」を称賛している気がします。
回り道をしたっていいじゃないか。]


・April 28, 2000 新しい年度になりました。今年度から今までと違う教科書にしました。基礎的文法のためには少々詳しすぎるかもしれませんが、逆に、これがあれば文法はなんとかなるでしょう。ただ、この教科書だけで理解しようとするには少し無理があるでしょうから、プリントで適宜補おうと思います。この最初の段階で、自家製『ラテン語の初歩 の初歩』が多少なりとも役立てばと思います。


・June 2, 2000 授業での説明に反応して質問してくれるのも嬉しいのですが、横道に逸れた時のちょっとした話に反応してくれるのも、正直言って嬉しい。これからの新しい時代に哲学はまだまだ活躍しなければならないって話のついでに、私はキーワードとして「いのち」というのを考えていると言ったら反応してくれた学生がいた。教育学でどう考えるのか分からないのですが、少年たちの凶悪事件が教育と結びつけられるとき、それを「いのち」の問題の一部として捉えたい。少年法、死刑制度など、それに賛成だろうが反対だろうが、「いのち」の問題として捉えたい。・・・・とするとやはり、「ラテン語」も西洋古典を中心的な場としているでしょうけれど、「いのち」の発露の一端を読み取るような役目を果たすことだってできることでしょう。

 そもそも、「ことば」は、「いのち」から、やむにやまれぬ想いのなかから
出てきたのではないだろうか。
最近はそういう「ことば」も少なくなったと思うけど。
幼児がお母さんに向かって「ママ」「おっかぁ」「あっば(どこの方言?)」と呼べない時期があるのは、
「ことば」が生まれる「いのち」の想いがどれだけズッシリと重いものかを学ぶためかもしれない。
「ことば」には本来、そういう「いのち」の想いが込められていたのかもしれない。
「ことば」によって全てのものは成った、そういう時があったとイオアンネスは言う。
   In principio erat Verbum, 
et Verbum erat apud Deum,
et Deus erat Verbum.
   Hoc erat in principio apud Deum.
   Omnia per ipsum facta sunt.
          (Evangelium secundum Ioannem 1.1-3a)

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